【ホンダアクセス】純正アクセサリー「Modulo」が30周年! 新時代を牽引する湯沢峰司氏に訊く(前編)【実効空力】
ホンダ車向け純正アクセサリーの企画・開発・販売を担当しているホンダアクセス。そのスポーツブランドである「Modulo」と、コンプリートカー「Modulo X」シリーズに関しては、ホンダ車オーナーにはもはや説明不要だろう。
純正アクセサリーのスポーツブランドである「Modulo」は、デザインや質感を変化させるだけでなく、機能面の進化も両立させる製品としてホンダ車オーナーから広く支持を集めており、そんなModuloの世界観をパーツ単体の集合体ではなく1台のコンプリートカーとして開発・実現したのが「Modulo X」である。
2013年に発売されたN-BOX Modulo Xに始まり、N-ONE、フリード、ステップワゴン、ヴェゼル、S660、そしてフィットe:HEVという全7モデルがこれまでに発売された。そんなModulo Xは2023年に10周年を迎え、今年2024年はModuloが30周年というメモリアルイヤーを迎える。
Modulo Xは2023年に10周年を迎え、同年秋には「聖地」群馬サイクルスポーツセンターにて大規模なオーナーズミーティング(前編、後編)が開催された。全国からModulo Xオーナーが参加したこのイベントで、サプライズとして発表されたのが、これまでModuloシリーズの開発統括を務めていたホンダアクセス・福田正剛氏の勇退と、これまで共にModuloを開発してきた湯沢峰司氏へのバトンタッチであった。
「これまでの時間を通じ、彼にはModuloのすべてを伝えたつもりです。これからは湯沢流のModuloを作っていってもらいたい」
福田氏はこのように語り、ホンダの象徴でもあるグリーンの作業帽を湯沢氏へと託した。こうして次代のModuloを担うこととなった湯沢氏だが、ご本人はどのようなキャリアを重ね、どのようなクルマ趣味観を抱いているエンジニアなのだろうかと気になっている人も多いことだろう。そこで今回は、湯沢氏のクルマ観やModuloとの関わりについて伺ってみた。
今後のModuloを牽引するエンジニアの素顔
――これまでもModuloの開発に長く携わってこられた湯沢さんですが、今回は改めてご本人の人となりというか、どういった「クルマ観」をお持ちなのかというところからお話を伺いたいと思っております。よろしくお願いします。
湯沢:こちらこそ、よろしくお願いします。どうぞお手柔らかに(笑)
――それでは最初に湯沢さんの社歴やプロフィールについて、教えていただけますでしょうか。
湯沢:私は2003年にホンダへ入社しました。最初からホンダアクセスへ配属され、もう20年になります。ホンダアクセスではサスペンションや空力パーツなど、ひととおりのアクセサリー開発に関わったのち、現在は完成車性能担当という役割になっています。
――就職先にホンダを希望したのは、やはりクルマやモータースポーツがお好きだったからですか?
湯沢:もちろんクルマは好きでしたし、F1もずっと見ていました。ただ大学生ですから、愛車を購入して手を加えて走らせて楽しむというのは経済的にも限界があります。F1を見るのが大好きな学生でしたが、モータースポーツや競技としてのレースよりも、レーシングカーのこの部分の形状にはどんな意味があるんだろうとか、機能や性能を想像することに興味がありましたね。学生時代は航空力学に熱中していましたので、F1のボディやウイング形状はそれこそ穴が開くほど見つめていました。
――航空力学、つまり飛行機ですね。そちらのジャンルでもホンダとは縁がありますね。
湯沢:ただ学生時代に私が熱中していたのは、エンジンを搭載しない「滑空機」と言われる飛行機でした。琵琶湖で行われている「鳥人間コンテスト」を想像してもらえればわかると思います。純粋に空力性能が機体性能に直結するので、「機能性があってこそのデザイン」という考えは、現在のModuloとも共通する部分です。
――当時はデザイナーでありエンジニアでもあったということでしょうか?
湯沢:操縦は専任のパイロットが行っていましたが、機体の作成に関する部分はそのとおりです。乗り手と作り手という点については分業制が敷かれていたので、運転技術や車両感覚といった部分に関しては、ホンダへ入社しホンダアクセスへ配属後に基礎から鍛えられました。
――Moduloブランドが世の中に発表されたのは’94年のことです。湯沢さんが入社されたときにはすでに10年近くが経過しており、社内はもちろんクルマ好きのあいだでも一定の評価が浸透していた時期ですね。
湯沢:そう思います。当時は本田技術研究所から来られた玉村 誠さん、そして先日まで一緒に仕事をしていた福田正剛さんが先頭となって、Moduloの純正アクセサリーを開発していました。
――ホンダアクセスの業務といっても幅広くあると思うのですが、湯沢さんはすぐにModuloの開発メンバーへと参画したのですか?
湯沢:入社後すぐにというわけではないのですが、わりと早かったと思います。というのも、どうしてもやりたいんだ! と手を挙げていると、誰かが引っ張ってくれるんです。ホンダって良い会社ですよね(笑)
――飛行機やレーシングカーの形状に興味を持っていた開発者・設計者からすると、市販車それも純正アクセサリーの開発においては、様々な制約があって面白くないと感じられたりしたのでしょうか?
湯沢:いや、それは全然ありません。むしろ制約があったほうが面白いというか、やりがいがあるんです。例えばレーシングカーは速さこそがすべてであり、唯一の評価です。どんなにカッコ悪くても、タイムが速ければそれが正解になる。実際にはそんなことってありえないですけど(笑)。でも純正アクセサリーでは、いくら性能が良くてもデザインが良くなかったらお客様には買っていただけないし、当然ながら法規対応や耐久性、そしてコスト面という制約もある。それらすべてを高い次元での両立が求められます。
――その証というか、反面というか、純正アクセサリーにはどこか行儀のいいというか「優等生チューニング」的なイメージがありますよね。
湯沢:私自身、社会人となってから愛車にいろいろ手を加えて楽しんできましたので、その気持ちはすごくよくわかります(笑) とはいえ自動車メーカーとしては、開発する製品には法規のほかにも守らなければならない社内ルールがあります。純正アクセサリーにおいては、そこは重要なことだと思っています。そのうえでお客様に納得、満足いただける製品を作り出す。高いハードルですけど、やりがいがありますね。
――愛車のお話が出ましたが、湯沢さんはS2000にお乗りだと伺いました。
湯沢:はい、所有歴はもう15年以上になります。2リッターのF20Cを搭載したAP1です。外装などにマイナーチェンジを受けたAP1-130型ですね。その前は、シビックSiRⅡ(EG6)に乗っていました。じつは自分で所有してきた車歴というと、この2台しかないんです。そのかわりというか、2台ともたくさんパーツを交換して楽しんできました。とくに脚まわりは何度仕様変更をしたか数えきれないくらいです。
――アフターマーケット製品、チューニングパーツを装着して楽しんでいたのですか?
湯沢:皆さんと同じですよ。有名メーカーの車高調整式サスペンションを組んで、減衰力やバネレートを変更して、車高にも拘って。乗り味はいいけれど、この車高じゃやっぱりまだ少し高いよな、なんて言ったりして。ただクルマのチューニングって、ルックスのカッコ良さを優先すると、なにかが犠牲になってしまう。つまり局地的な部分の性能を向上させるのがアフターマーケットパーツだとしたら、純正アクセサリーの良さというか価値は、何も失わずに全方位にわたって価値を高めるところにある。私の場合、自分の愛車でいろんな経験をしたおかげで、ホンダアクセスの役割やModuloの目指すところが明確になった気はしています。
後編に続く
(photo:Kiyoshi WADA 和田清志、text:Kentaro SABASHI 佐橋健太郎)