【ヴィンテージホンダ】自ら改装も手掛けた古民家にて、幼少期から憧れ続けたS600と暮らす23歳の若きオーナー
国家資格を取得して、大手販売店にてモーターサイクルのメカニックとして働くも、大好きな趣味の世界はプライベートで楽しむのが自分には向いている!と180度方向転換。現在はのどかな田園地帯にて農業に従事し、古民家を改装したマイガレージにて、幼少期より憧れていたS600をはじめとするホンダ6輪生活を楽しむ青年を訪ねた。
(Honda Style 100号にて掲載)
たくさんのホンダがお出迎え
田園地帯のなかにある集落の一軒の古民家。そこで愛犬「さんちゃん」と共に、にこやかな表情で迎えてくれたのは、幼少時よりの大のクルマ好きだったという、若干23歳のS600オーナー・山田里偉さんだ。
山田さんのお父さんもクルマ好きで、ご自身が生まれる前の写真も納められたアルバムの中には、お父様の愛車であった’67年式ホンダS800・マーク1が輝いていた。やがて物心がついた山田少年の脳裏には自然と刷り込まれ、たくさんのクルマのなかでも「エス」に惹かれていったのは必然といえる。
そんな山田さんは少年時代よりヒストリックカーの展示イベントなどに足しげく通い、ホンダスポーツの年式によるディテールやスペックの違いなども、子供ならではの吸収力で、知識を高めていった。『すごくエスに詳しい小学生がいる』と、エス・オーナーのあいだでも一目置かれるほどの、ホンダスポーツ大好き少年へと成長する。
少年時代から、クルマ趣味に興じる大人たちとの交流により複数台のホンダスポーツに接してきたということもあり、様々なオーナーの愛車に対する愛情や、車歴もつぶさに見てきた。そして現在、23歳となった山田さんは、念願が叶って1965年(昭和40年)式のS600を所有している。オーナーとの年齢差は2倍以上、親子のように時代の異なるモデルである。
実はこの車両も、山田さんが幼少期よりよく知っていた1台だという。フロントスポイラーが装着されていた当時の印象もしっかりと記憶のなかにあり、なかなか個性的な個体だなと、子供ながらに思っていたそうだ。
そんな過去を知るS600を入手してから、ちょうど1年。よく見るとボンネットはS800のものに変更されていたり、前オーナーによりスポーティな仕様へと手が入れられていた名残りであろうバケットシートも、このクルマの歴史だから大切にしたいと笑う。
ドア下部をはじめ、ボディ各部に痛みが出てきた箇所はあるが、致命傷になる前に少しずつ修復すれば良いと悠然と構える。さらに、いずれはこのクルマのオリジナルカラーであるハーバーブルーに戻したいと、今後の展開を思い浮かべているという。
昭和という時代に憧れを抱く
「年相応に年季を感じさせるものに魅力を感じる」という山田さんの想いのルーツは、ホンダスポーツの先輩であり、西洋アンティーク店を経営している父親の影響が大きいといえる。
自分よりもはるかに年上のホンダスポーツや、モーターサイクルを楽しむと同時に山田さんが興味を持ったのが、愛すべき愛車たちが作られた頃の、我が国の情勢である。第二次世界大戦における敗戦から復興し、わずか10年で高度経済成長を迎えた日本。そうした時代の人々の持っていた力強さに山田さんは感銘を受け、昭和時代の芸術や文化、生活様式などにも強く惹かれていくようになる。
もっとも高度経済成長期の礎となった工業製品は、自動車やモーターサイクルだ。そして元来がクルマ好きである山田さんが、それらに興味を持つようになったのは当然のことだろう。さらに出身地である愛知県はそれらの産業も盛んな地域である。
山田さんが17歳の高校生だったころ、ある庭先にあった古いモーターサイクルを見つける。かつて愛知県刈谷市(当時は刈谷町)にて創業したオートバイメーカー『トヨモータース』の製品・トヨモーターだと、知識豊富な少年はすぐに分かった。
何年も動いていないのが一目瞭然という不動車だったが、持ち主に粘り強く交渉して譲り受け、不動だったトヨモーターに再び鼓動を刻ませることができた。まだ2輪の免許も取得していない少年にとって、その喜びはひとしおであったに違いない。
山田さんが高校を卒業後、自動車工学が学べる短期大学へ進んだのは、こうした経験があったからに他ならない。そして卒業時には自動車整備士と二輪自動車整備士のいずれも2級の国家資格を取得し、卒業後は、晴れて大手のモーターサイクル販売店へと就職した。
全国に店舗のある販売グループでの赴任地は、生まれ育った愛知県の隣である三重県松阪市であった。そこで販売車両のメカニックとして、整備作業に従事する。
しかしそれまで趣味として自身の愛車たちを整備し、それから運転を楽しむという付き合いから、毎日の仕事としてモーターサイクルを整備するという関わりかたは、山田さんが本来考えていた乗り物たちとの距離感とは徐々に違いが生まれてくる。
整備を「生業」とした山田さんは、高校生だった当時にトヨモーターを再び走らせようとしていた時のような付き合い方はもうできない。少しずつ感じ始めた違和感は日に日に大きくなり、趣味と仕事は別々のものだと分けて考えたほうが自分には合ってそうだと思い、退職した。
その後なにか自分の性格に合った仕事はないか探したところ、同じ松阪市内にあるNPO法人での農業従事者の募集が目に止まった。自然の摂理を感じる仕事と趣味の機械いじりといった対極にある生活も、自分の性格には合っていそうだと転職を決めた。
それから約2年が過ぎ、現在は毎日自然のなかで汗を流す仕事をしながら、帰宅してからの時間や、休日に趣味として大好きな2輪&4輪車との生活を楽しむという理想的なスタイルで充実した毎日を過ごしている。
生活の場となっているのは、賃貸の古民家。元々は建具屋さんだったというこの家には、母屋よりも大きな作業小屋がある。そこはもちろん愛車たちのガレージとなっており、大好きだという時代の遺産ともいえる看板などの昭和グッズがセンス良くディスプレイされている。まるで昭和40年代後半へとタイムスリップしたかのような雰囲気だ。
懐かしい蓄音機や古い書体のオイル缶、使いかけの工具などとともに、数台のモーターサイクルや自転車たちは、物置とされたスペースに置かれて何十年も経ったような、ノスタルジーの漂う居心地の良い最高のスペースとなっている。
好きな時代のアイテムに溢れた古民家のガレージで、愛車たちや愛犬と趣味に没頭する生活を送る。山田さんと同じ若い世代だけでなく、幅広い年代のクルマ好きからも間違いなく魅力的に映るだろうヴィンテージホンダ・ライフを、今後も応援していきたい。
(photo&text:Junichi OKUMURA 奥村純一)