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【S-GT】ジェンソン・バトンが記者会見。『次へのチャレンジのタイミングが来た』と2年間のSUPER GT参戦に感謝

2019年11月2-3日、ツインリンクもてぎにてSUPER GT第8戦が開催された。2018年のシリーズチャンピオンであり、カーナンバー1を着けて今シーズンを戦ったRAYBRIG NSX-GT(山本尚貴/ジェンソン・バトン)は、予選11位・決勝6位でフィニッシュ。シリーズ・ランキングは8位となった。

この最終戦を前に、ジェンソン・バトンは自身のInstagramでSUPER GT参戦が今シーズン限りとなることを発表。多くの反響が寄せられていたが、11月2日の公式予選後に単独の記者会見が設定され、本人の口から現在の心境や今後について、さらに日本のファンやホンダに対する感謝が語られた。

バトンは自身がQ1を担当し、11番手となった予選を終えてから17時35分に会見場に到着。記者会見は17時40分からとなっていたが、とくに急かすわけでもなく、時間をしっかりと守る姿はバトンらしい。その後、司会者により記者会見がスタート。バトンはリラックスした表情で、ときおりテーブル上の水を飲みながら語ってくれた。

JB:僕は、人生というものは色々なチャレンジの積み重ねで成り立っていると思っている。F1でのキャリアのあと、僕はSUPER GTを新たな挑戦の舞台として選んだ。1台のマシンをチームメイトとシェアをして、耐久レース形式で走ること、GT500とGT300の2クラスがあって特に決勝レースでは学ぶことが多かったりと初めてのことばかりだったけれど、それを楽しんで挑戦することができた。

JB:このSUPER GTに2年間挑戦するにあたり、TEAM KUNIMITSUからは参戦できたことは素晴らしい経験だった。特に2018年はシリーズチャンピオンを獲得することもできたしね。総監督であるクニミツサンは本当に素晴らしい人物で、レーサーとしても2輪や4輪で活躍したキャリアを持っている。そんな人のチームで走れたことは光栄だった。

JB:もちろん、チームメイトのナオキ(山本尚貴選手)とも素晴らしい関係を築けた。彼は僕が初めて『頑張って欲しい』と思えるチームメイトで、とても良い環境で走ることができた。僕は耐久レースは初めてだったから、ナオキからはドライバー2人が協力してチームとともに働く大切さを教えてもらった。彼とSUPER GTと戦えたことは本当に楽しかった。今後もチームやナオキの活躍を応援している。

Q:クルマをシェアして戦うSUPER GTに参戦し、いい意味で苦労したことは?

JB:僕は身長が184cmあって、ナオキとは20cmも違うんだ(笑)。だからシートポジションやステアリングの角度などは、共有するのに苦労する部分があった。先日にドイツ・ホッケンハイムで行われたDTMとの交流戦では、ステアリングやシートを自分にピッタリと合わせることができたけれど、SUPER GTではお互いに妥協しなければいけない。ドライビングにおいて腕や足は、マシンのフィーリングを感じとるために重要なんだけど、それとの折り合いをつけることかな。

Q:今後の活動について、日本の別メーカーに移籍したり、あるいはNASCARなどのカテゴリーに参戦することはありますか?

JB:僕は長年ホンダのアンバサダーも務めているから、トヨタやニッサンで走ることは絶対にないよ。NASCARについては非常にチャレンジングだし魅力的なカテゴリー。多くのF1ドライバーが参戦したけど苦戦しているし、簡単ではないね。

JB:インターネット上でアメリカン・ホンダがNASCARに参戦するかも……という記事が出たとき、twitterで『準備はできてるよ!』と僕はコメントしたけど、もし参戦するにしても、最初はNASCARの下位カテゴリーであるトラックシリーズから始めるべきとは思うかな。

Q:日本のレースに参戦した印象を教えて下さい。

JB:SUPER GTという素晴らしいドライバーが参戦しているシリーズに挑戦したことで、本当に最高の2年間だったと。特に2018年はシリーズチャンピオンを獲得できたし、F1への挑戦を終えた僕の人生にとって深い意味があるものだった。そして今は、次の挑戦を求めているということ。僕はいま39歳。近年のレーシングドライバーでは、まだそこまで年齢を重ねていると思わない。まだ次の挑戦はできると考えている。

JB:とはいえ、もう2〜3年日本にいると次の挑戦の機会を逃してしまう。だからSUPER GTや日本が気に入らないという理由ではないし、そこは強調しておきたい。『次へのチャレンジをする時期が来た』ということなんだ。

Q:お子さんが誕生したことで、レーシングドライバーとしてのキャリアに変化はありましたか。

JB:誰もがそうだと思うけど、家族ができると人は変わる。僕も子どもができてから、富士やSUGOですごくいいレースができた。いい変化は確実にある。でもやっぱり、家の近くで過ごしたいとも思っている。今はアメリカに住んでいるから、日本でレースをするにあたりテストやレースのたびに家を離れる必要があるんだ。だからもっと家で過ごしたいとは思っていて、来年の前半は予定を入れていないんだ。

JB:最後にこの場を借りて、感謝を言わせてほしい。2年間レースをするチャンスをもらえて本当に感謝している。僕は日本のファンや、日本の文化が大好きなんだ。日本のモータースポーツにも憧れをもっていた。1997年、僕は鈴鹿でカートのレースをした。それが日本での初レースだったけど、レベルの高さに本当に驚いた。F1にいたときから日本、そしてSUPER GTでレースをすることが夢だったし、参戦の機会を作ってくれて、チャンピオンという夢を叶えてくれたホンダに感謝したい。そして多くの応援をくれた日本のファンにも深く感謝したい。

2018年のSUPER GT最終戦で3位となり、シリーズチャンピオンを獲得

元F1シリーズチャンピオンという輝かしい実績だけでなく、長年に渡ってホンダとの関係を築き、そしてSUPER GTでも参戦初年度にシリーズタイトルを獲得するなど、確かな実力と誠実な人柄でファンからも愛されたジェンソン・バトン。少なくとも来季は日本国内でレースをする姿が見られそうにないのは残念だ。

ただ現在の生活の拠点がアメリカであること、そしてホンダとの関係性は継続される(予定)ことを考えると、ACURAでARX-05あるいはNSX GT3を駆ってデイトナ24時間に参戦したり、あるいはインディ500へのチャレンジにも期待がかかる。今後のジェンソン・バトンの挑戦にも注目したい。

(text:Kentaro SABASHI 佐橋健太郎)