【ホンダアクセス】想い出のマシンとともに、Modulo Nakajima Racing 中嶋 悟 監督トークショー開催!!

ホンダ車向け純正アクセサリーの企画・開発・販売を行うホンダアクセスが、同社のスポーツブランドである「Modulo」が30周年を迎えたことを記念して開催した『Modulo THANKS DAY 2025』。
栃木県・モビリティリゾートもてぎのレーシングコースや第一パドック、カート場などで様々なコンテンツが用意されたが、ホンダコレクションホールではModulo Nakajima Racingの中嶋 悟 監督によるトークショーが開催された。

ホンダコレクションホールは、約1年前の2024年3月1日に展示内容をはじめ大幅リニューアル。3階にはイベントスペースが常設されており、中嶋 悟氏のトークショーはこのイベントスペースにて開催された。

大型スクリーンをバックにしたステージには、中嶋 悟 氏とモータースポーツアナウンサーのピエール北川氏が登壇。ステージから見て左側には、中嶋氏が現役選手時代にドライブした「マーチ ホンダ 86J」と「ティレル・ホンダ020」が展示された。
様々なコンテンツが用意された『Modulo THANKS DAY 2025』だけに、トークショーの時間はわずか15分という限られたもの。そんななか中嶋氏は、現役時代にドライブした2台のマシンを前に多くの思い出を語った。

中嶋氏が日本人として初めてF1世界選手権へフル参戦したのは1987年のこと。「マーチ ホンダ 86J」は、F1に参戦する前年、1986年に日本のF2選手権でシリーズチャンピオンを獲得したときの車両だ。同選手権では1984〜86年と3年連続でシリーズチャンピオンに輝いており、まさに「やり残したことはない」を周囲に見せつけてF1へ挑むこととなった。

いっぽうの「ティレル・ホンダ020」は、F1のラストシーズンとなる1991年にドライブしていた車両。この年からホンダ製V型10気筒エンジンが搭載されることで期待を集め、開幕戦アメリカGPでは5位に入賞。しかしシーズンが進むにつれマシントラブルも発生するようになり、鈴鹿で行われた日本GPでもサスペンショントラブルによりリタイア。そして同年にF1を引退。レーシングドライバー・中嶋 悟として最後の車両でもある。
トークショーでは、自身のレーシングキャリアを振り返って「僕は要領がよかった」とコメント。当時は現在のようにシミュレータなどなく、限られた時間やコンディションでいかに最大のデータを得られるかが重要だったそう。
「レーシングカーでサーキットを走るのは、昔も今もお金がかかります。そして時間もね。だから僕は1回1時間と決めて、それしか走らないようにしていました。いかに少ない練習時間で結果を出すか。そうせざるを得なかったんだけどね」
「あと体力トレーニングも好きじゃなかったんだよね。というか全部やったら身体が保たない、というくらいのメニューでね。それをわかっていたから、自分で判断して調整してやっていたら、トレーニングコーチには褒められ(!?)ていた」

その後は事前に募集された来場者からの質問に答えるかたちで、現在、F1に参戦している角田裕毅選手についての印象を語る場面も。またSUPER GTへはModulo Nakajima Racing、スーパーフォーミュラへはPONOS NAKAJIMA RACINGとして参戦する総監督としての立場から、それぞれのドライバーに対する期待のコメントも聞かれた。
なかでも今シーズンからスーパーフォーミュラにフル参戦することになったイゴール・オオムラ・フラガ選手については「テストでトップレベルのタイムを出しつつ、まったくスピンもクラッシュもしない」とすごさを語った。
また「eモータースポーツでも世界チャンピオンを獲っているわけだから、モータースポーツに関しては才能があるのはまちがいないよね」とコメント。SUPER GTとスーパーフォーミュラ、どちらも開幕前に手応えを感じているようで、終始穏やかな笑顔が印象的だった。
(text:Kentaro SABASHI 佐橋健太郎)