【米国自動車殿堂】ホンダ創業者 本田宗一郎氏の盟友であり、最高顧問を務めた藤澤武夫氏が米国自動車殿堂に選出
ホンダの創業者の一人として、本田宗一郎氏と並んで知られる藤澤武夫氏が、米国自動車殿堂(Automotive Hall of Fame)に選出され、殿堂入りすることが発表された。米国自動車殿堂はミシガン州ディアボーン市に存在するが、授賞式典は2023年7月20日に同じミシガン州のデトロイト市で開催が予定されている。
米国自動車殿堂とは、自動車産業に貢献した人々の功績を称え、永続することを目的として1939年に設立。ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、1989年に日本人として初めて米国自動車殿堂に選出されている。
藤澤武夫氏の功績
藤澤武夫氏は、創業者である本田宗一郎氏とともに黎明期のホンダを率い、1959年にホンダ初の海外現地法人である「アメリカン・ホンダモーター」の設立や、アメリカでの二輪車販売開始時におけるディーラー網の構築など、その後にホンダとってグローバル事業拡大の礎を築いた。
また1960年には、研究開発部門を「本田技術研究所」として分離し独立させることで、個性と能力の自由な発揚を通じた新価値の創造を促すなど、現在に至るホンダの発展に大きく寄与した。
藤澤武夫氏と本田宗一郎氏の関係
本田宗一郎氏と藤澤武夫氏が出会ったのは、ホンダが創業した翌年である1949年のこと。ビジネスに対する考えや将来の夢で意気投合し、同年10月に常務取締役としてホンダに入社した。本田宗一郎氏が研究開発や生産といった技術領域に集中するいっぽうで、藤澤武夫氏は営業や財務、マーケティングといった事業領域を一手に担い、本田宗一郎氏と二人三脚でホンダを率いた。
両名によるパートナーシップは、1973年3月にふたりが揃って引退するまで、約25年間に渡って続いた。
藤澤武夫氏の略歴
1910年 11月10日東京都生まれ
1949年 10月:本田技研工業株式会社 常務取締役として入社
1952年 4月:同社 専務取締役
1964年 4月:同社 取締役副社長
1973年 10月:同社 取締役副社長を退任、取締役最高顧問 就任
1983年 10月:同社 取締役を退任、最高顧問
1988年 12月30日:死去(享年78歳)
(text:Honda Style Web)