【Vintage Honda】ホンダ1300クーペ・レーシングでヒストリックカーレースを戦い続ける、あるオーナーの物語
そのクルマが活躍した時代に思いを馳せ、レースという極限に近い状況を好きなクルマで楽しむのが、ヒストリックカーレースの醍醐味だ。ドライバーとメカニック、両者の思いが同方向へと作用したとき、不利と思えたマシンにもアイディアが生まれタイムが縮まる。これまで幾度も直面してきた逆境を乗り越えてきた1300クーペは、オーナーの情熱とともに今後も走り続ける。
(Honda Style 102号/2021年6月発売号に掲載)
ヒストリックカー・レースとの出会い
筑波サーキットを中心として、JCCA(日本クラシックカー協会)が主催しているヒストリックカーレースがある。そのレースに参戦している車両に、空冷エンジンならではの独特なサウンドを奏でながら疾走している、イエローのホンダ1300クーペがいる。そのオーナーこそ、約25年というヒストリックカー・レース活動歴を持つ、林 誠さんだ。
岡山県に住む林さんが初めてサーキット走行を経験したのは、地元の中山サーキットで行われる『DAD’Sサーキットミーティング』でのこと。このイベントには「SCENE IN THE 60’s」というサブタイトルが掲げられ、’60年代当時に日本のレースシーンで活躍した国内外の車両たちが参戦していた。
いわば日本のレースシーンの夜明けを再現したイベントにおける走行会枠で、林さんは当時の愛車であったケーターハム・スーパーセブンでサーキットデビューを飾ったのだ。
メインイベントのヒストリックカー・レースでは、当然ながら往時を彷彿とさせるマシンたちが競演していた。その様子を目にした林さんが『まだ誰も走っていないマシンで、自分も当時のシーンの再現を楽しみたい』と憧れを募らせるのは、自然な流れだった。
林さんは、当時の愛車スーパーセブンでサーキットを走るにあたって、岡山市にある『ガルトカーサービス』にキャブレターのセッティングなどメンテナンスを依頼していた。同店代表の片山さんとは、しばらく遠ざかっていたクルマ趣味を再開したときからの付き合いだという。
前述のヒストリックカー・レースに参戦希望であるという相談をすると、片山代表はディーラーメカニック時代に、ホンダZで鈴鹿シルバーカップや、公認ジムカーナ競技に参戦するなど、メカニックを兼任したサンデーレーサーとして数多くの経験を持っていた。
最高の相談相手を得た林さんは、当時まだ誰も参戦していなかったスバルFF1と、ホンダ1300クーペの2台を候補に挙げる。林さん自身、自動車運転免許を取得する以前からホンダのバイクに親しんでいたこともあり、1300クーペでのレースカー製作を決意した。
約半年をかけてレース車両が完成
さっそくベース車両を探し始めると、ちょうど作りかけのレーシングカーの出物があるという。すぐに購入したものの、ボディの程度の悪さに幻滅する。鈑金修理も考えたが、同じくガルトカーサービスに集う笠波さんという友人が、キレイな状態の1300クーペのボディを解体屋で見つけてくれた。
すぐにガルトカーサービスで作業が開始される。ロールケージを組み込み、エンジンとキャブレターは、先に購入していた1300クーペから移植された。安全面での改造のみが許されるノーマル車両、プロダクションクラス(Pクラス)仕様のレースカーへと仕立て上げ、’00年の夏ごろから作り始め半年後に完成した。
そして’01年4月に行われた『DAD’Sサーキットミーティング』で、林さんは本格的にデビューする。この日は、ガルトカーサービス・片山代表の息子である洋介さんもミニを駆り、同じくPクラスへエントリーしたのも懐かしい思い出だという。
13台が出走した10周のレースで、林さんの駆る1300クーペは、KB110のサニー、ベレット1600GTに続いて、見事3位に輝いた。排気量の勝るフォード・エスコートTCやミニ・クーパーSを従えての入賞は、楽しくないわけがない、以降、年2回行われる『DAD’Sサーキットミーティング』を楽しむようになる。
度重なるアクシデントもなんのその
そうして意気揚々と1300クーペでのレースを楽しんでいた林さんだが、’04年のレース中にマシンが1回転していまうほどのアクシデントに見舞われる。幸いなことに車両のダメージはルーフ部のみということもあり、部品取りとして持っていたスペアボディからルーフを切り取って被せ、1.5代目へと進化。すぐにレース活動を再開する。
その後、’07年秋には真っ逆さまになり、1.5代目は修復不能。あえなく廃車となる。しかし翌年、個人売買でまたも1300クーペを購入、自宅ガレージでアンダーコートを剥がし作業を開始するが、休日の数時間作業ではいつ完成するか分からず、再びガルトカーサービスへ持ち込んだ。
しかし従来と同じ仕様ではつまらないと、今度は改造範囲の広いFクラス車両として’09年春に2代目車両が完成。脚まわりの変更も許されるレギュレーションなので、クロスビームからリジッドへと変更、スロットルコントロールで適度にテールが流れ操縦性が向上し、軽量化も実現した。
またDDACの冷却フィンや、ヘッドおよびシリンダー外壁を削り落とし、自然空冷へと改造。当時、ポップ吉村氏が施したのと同じ手法を試すも、度重なるガスケット抜けで断念。そんなエピソードも「伝説のチューナーと同じ経験ができた」と林さんは笑う。その時々に目標を定め、レギュレーションに合わせて1300クーペを存分に味わうのだ。
そんな林さんを3度目のアクシデントが襲う。’16年秋、スタート直後のもつれから、突如、進行方向を塞がれてしまい衝突。2代目マシンは廃車となってしまった。
しかし林さんはめげることなく、今度は年間3戦行われているJAF公認のヒストリックカーレース・JCCAに照準を定め、Sクラス車両のレギュレーションに合わせた1300クーペを製作する。もちろん実作業はガルトカーサービスだ。
この3代目マシンは’17年秋にシェイクダウンし、翌年5月にはレースへ復帰する。岡山県在住の林さんにとって、筑波サーキットへの道のりは高いハードルだが『25年間ものあいだ、1300クーペの主治医として車両製作やメンテナンスに向き合ってくれた片山さんを巻き込めるうちは楽しみたい』と、JCCA遠征への意気込みを語ってくれた。
「サニーやハコスカなら引き継いでくれるオーナーさんもいるけど、1300クーペでレースをやりたい人なんて僕だけでしょうね(笑)」
ちょっと照れ臭そうに話してくれた林さんの表情からは、誰よりも強い1300クーペへの愛情が伝わってくるのである。
普段のアシも「強制空冷」に拘る
そしてなんと、林さんは日常の「アシ」も強制空冷のホンダ1300であった。一見するとノーマルのようだが「もしマスキー法が無く、ホンダ1300の生産が続いていたら、S500からS800Mに至るように進化したのではないか」と想像しながら、レースカーからのお下がりとなるリジッドアクスルを移植するなど、林さんはセダンとの生活も楽しんでいる。
(photo&text:Junichi OKUMURA 奥村純一)
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SPECIFICATION
1970 1300 COUPE 9 DELUXE
□全長×全幅×全高:4140×1495×1320mm□ホイールベース:2250mm□車両重量:900kg□乗車定員:5名□エンジン形式:強制空冷直列4気筒SOHC□総排気量:1298cc□最高出力:115PS/7500r.p.m.□最大トルク:12.05kgm/5500r.p.m.□変速機:4速MT□燃料タンク容量:45リットル□サスペンション形式(F/R):独立懸架式/半楕円板ばね式□タイヤサイズ(F&R):6・2S13-4PR
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