【現地レポート】第103回インディ500はS.パジェノーが初優勝!
1911年に第1回目のレースが開催されたインディ500は、二度の世界大戦中を除いて、ずっと同じ場所で、毎年の5月末に開催されている。
レースの舞台であるインディアナポリス・モータースピードウェイは、自動車の発展に寄与するようにと作られただけあって、純粋にスピードを追求している。全長2.5マイルもあって、長短2本ずつの直線を、バンクのつけられた4つの左コーナーで繋いでいる。
最初の年は路面が未舗装だったけれど、レース中の土ぼこりがひどかったためにレンガ敷きに変わり、その後にアスファルトになった。観客席も長年をかけて拡充されて来て、今ではメインストレートとターン1のグランドスタンドは、野球やサッカーのスタジアムのよう。
ターン2や、メインストレートのピット側スタンドの上部には企業やVIPのためのスイートルームが多数作られている。ここで繰り広げられる年1回のビッグレース「インディ500」には、毎年30万人を超す人々が集まる。
第103回目の開催となった今年、予選で最速だったのは2016年のインディカー・シリーズチャンピオンであるシモン・パジェノー(チーム・ペンスキー)。インディ500の予選は4周の連続アタックでの平均スピードで競われるのが伝統で、彼は229.992mphを記録してシリーズでのキャリア11回目、インディ500での初ポールポジション(PP)を獲得した。
フランス人のPPは100年ぶり(!)。そして、彼はレースも制してしまう。こちらはフランス人として99年ぶりとなった。
パジェノーは200周のレースの116周をリードしたが、淡々と1人が逃げ続ける退屈なレースにはなっていなかった。彼が最後に死闘を繰り広げたのは2017年インディ500ウィナーのアレクサンダー・ロッシ(アンドレッティ・オートスポート)。ゴールまで13周で切られたリスタート以降、彼らは4回もポジションを入れ替える激しいバトルを展開した。
残り2周、ロッシがターン1でトップに立ち、大逆転優勝がなったかに見えた。しかし、次のラップのターン3でパジェノーが抜き返し、再逆転を許すことなくゴールへ飛び込んだ。ロッシとの差は0.2086秒しかなかった。
もう1人、レース終盤に大歓声を浴びていたドライバーがいた。2017年インディ500ウィナーの佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)だ。2012年にダリオ・フランキッティと優勝を争って最終ラップにクラッシュした彼は、2017年にエリオ・カストロネベス(チーム・ペンスキー)との一騎打ちを制しての劇的勝利を飾った。
その琢磨が今年もゴールを目前にして優勝争いにバトルに加わりそうだ……と、ファンは期待を膨らませた。予選は14位。決勝も1回目のピットストップでミスがあって周回遅れに陥ったが、”500マイルレースだから諦めない”と琢磨はリードラップへ戻るチャンスを待ち続け、それはゴール前60周を切ってから訪れた。しかも、ホンダエンジンの好燃費も利用した作戦が当たった彼は、ゴール前のリスタートを5番手の好位置で迎えた。
ここからの戦いぶりが琢磨の真骨頂だった。リスタート直後のターン1でエド・カーペンター(エド・カーペンター・レーシング)をアウトからパス。彼のターン3での逆襲をサイドバイサイドでアウト側に並んだまま走って跳ね返し、ゴール前10周でジョセフ・ニューガーデン(チーム・ペンスキー)を今度はターン3で、またもアウトからパス。”この勢いなら奇跡の大逆転優勝も可能か”と思わせた。最終的にロッシ、さらにはパジェノーを琢磨が抜くことにはならなかったが、スピードウェイに集まったファンは彼の走りに熱狂していた。
パジェノーのインディ初優勝は、今年が50回目のインディ500出場だったロジャー・ペンスキー率いるチームにとってのインディでの18回目となった。パジェノーのPPもチームにとっての18回目だった。
そしてインディ500は賞金もビッグ。パジェノーに贈られた優勝賞金は、総額266万9529ドル(ほぼ3億円!)だった。
(text:Hiko AMANO 天野雅彦)
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