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今年のグランプリ・オブ・ザ・ロングビーチはACURA一色! 歴代レーシングカーも多数展示

1975年に始まった、グランプリ・オブ・ロング・ビーチ。『F1のモナコGPのアメリカ版は必ず成功する』というプロモーターのアイディアは正しく、初年度のF5000(最大5000ccまでのエンジンを搭載OKなシングルシーター・フォーミュラ)から大盛況! 翌1976年にはF1西アメリカGPとなってさらに多くのファンを集め、1983年までF1レースを開催し続けた。

45回目のロングビーチ・グランプリを制したのはアレクサンダー・ロッシ(アンドレッティ・オートスポート)だった

1984年からはCART/チャンプカー、そしてインディカー・シリーズへとカテゴリーは交代するものの人気が衰えることはなく、グランプリ・オブ・ロングビーチは今年で第45回目の開催を迎えた。そしてイベントのメインスポンサーがトヨタからアキュラに代わり、アキュラ・グランプリ・オブ・ロングビーチと呼ばれることになった。

そのためコース全体はトヨタのコーポレートカラーである赤/白から一転し、アキュラの青/白へとガラリとイメージチェンジ。冒頭の2019年モデルNSXがペースカーとして用意されていたほか、会場内のエキジビジョン・エリア入り口には、アキュラのアメリカでのモータースポーツ活動を彩ったマシン群が展示されていた。

Acura CL

アキュラ・レーシングのトレードカラーは、蛍光オレンジとパールホワイト。コンプテックはアメリカンホンダ最初のレーシングプロジェクトとしてクラブレーシングへのシビックでの出場を行い、続いてCR-X、アキュラ・インテグラとマシンを換えて、参戦カテゴリーのレベルを上げていった。

そして1991年、NSXのエンジンを英国スパイス社製シャシーに搭載したスポーツプロトタイプマシンでIMSA GTPライト〜キャメル・ライトへとエントリー。初レースのデイトナ24時間で優勝し、初年度にしてチャンピオンになったアキュラは、そのタイトルをさらに2年続けて獲得した。

やがてコンプテックはIMSAでの活躍を買われ、インディカーに活躍の場を移した。1995年、ホンダ・インディV8エンジンは超高速の2マイルオーバル=ミシガン・インターナショナル・スピードウェイで初ポールポジションを獲得し、参戦2シーズン目にしてついにライバル勢を凌ぐパワーを手にしたことをアピールした。

そのときのチームがコンプテックで、ドライバーはツーリングカー時代から同チームのホンダやアキュラで走り続け、1991、1992、1993年IMSAキャメルライト・チャンピオンに輝いたパーカー・ジョンストンだった。

ホンダは1994年にアメリカ最高峰オープンホイールのチャンピオンシップ=CARTインディカー・ワールド・シリーズへの出場を始めたが、1995年を持ってアメリカン・トップ・フォーミュラはCARTシリーズとインディ・レーシング・リーグ(IRL)に分裂。

ホンダは当初CART側に残り続けたが、2003年にIRLへスイッチした。その際のエンジン開発から協力関係となったのがアンドレッティ・オートスポートで、現在も彼らはホンダのエース的存在である。

インディカー・シリーズで活躍を続けたホンダは、アキュラのスポーツカーレースへの再挑戦を決意。その復帰劇にもアンドレッティが関わった。2007年のことだ。おもしろいことに、当時はアメリカのスポーツカー業界がふたつに分裂しており、アキュラが出場したのはアメリカン・ル・マン・シリーズ(もうひとつはグランダム・シリーズ)であった。

その開幕戦、アメリカで最も長い歴史を誇る耐久レースのセブリング12時間でクラス優勝したのが、このマシン=アキュラARX-01aだった。搭乗したのは、当時の現役インディカー・ドライバー3人=ブライアン・ハータ/ダリオ・フランキッティ/トニー・カナーンである。

アキュラの完全自社設計によるLMP1マシンがARX-02。2009年にデビューした

LMP2で実績を残したアキュラは、いよいよトップカテゴリーであるLMP1への挑戦を始めた。そのチームに選ばれたひとつがド・フェラン・モータースポーツだった。ホンダ・エンジン搭載マシンで2回CARTシリーズ・チャンピオンになったジル・ド・フェランがオーナーを務めるチームだ。

そのジルは、2009年の最終戦でドライバーとしての活動を終え、オーナー業に専念することを決めた。そして自身の現役最後となるマシンのカラーリングに選んだのは、1960〜’70年代に一世を風靡したCan-Amシリーズで異彩を放ったマシン、シャパラルのものだった。

ド・フェラン・モータースポーツは2009年開幕戦のセブリング12時間でポールポジションを獲得するなど活躍を見せた

ジル・ド・フェランは1995年にCARTで走り始めたが、その最初のチームがホール/VDSレーシングで、シャパラルの創始者であるジム・ホールが共同オーナーを務めていた。ジル・ド・フェランはインディカーから引退してスポーツカーのチームを作る際、ジム・ホールに「66」を使いたいと申し出て、それは快諾された。そして彼のドライバーとしての最後のレースで、シャパラルのホワイト、シャパラルの66を纏って走ったのだ。

ド・フェラン・モータースポーツでジルのコ・ドライバーを務めたのは、今もインディカーで走る2016年インディカー・チャンピオンのシモン・パジェノーである。現在はシボレー・エンジンを使う強豪チーム・ペンスキーで走るシモンだが、彼の才能を見出したのがアキュラのスポーツカー・プロジェクトだったことは興味深い。

2019年のグランプリ・オブ・ザ・ロングビーチではインディカーとIMSAを併催。7号車アキュラARX-05が予選1位、決勝2位となった

ホンダは1994年からインディカーで戦い続けている。アキュラのスポーツカープロジェクトはアメリカ全体の経済的状況悪化から一時ストップしたが、2018年からIMSAウェザーテック・スポーツカー・チャンピオンシップに復帰し、トップカテゴリーのデイトナ・プロトタイプ・インターナショナル(DPi)で活動中。チーム・ペンスキーとのタッグで、2カー体制でのフルシーズン・エントリーを行っている。

また同じIMSAシリーズのGTDクラスには、アキュラNSX GT3が複数参戦しているのはご存知の通りだ。

(text:Hiko AMANO 天野雅彦)
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